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「…どういうことかなぁ?」
知らばくれている。
言いたくないのかもしれない。それなら俺が無理に聞きだすこともない…。
「いや、思い違いをしたようだ。忘れてくれ」
「…わりぃ。謝るのは俺のほうだ。やっぱりれーいちにはお見通しなのかな」
益田は飲みかけたジンのグラスを、静かにテーブルに置いた。
「なんで分かった」
「…見ようと思ったわけではないのだが、おまえが修行している店の控え室を覗いたとき…ロッカーの裏に止めてあった写真が目に入ってしまった」
「ああ、そっか…」
益田の目が虚ろになる。
「外人の女性の。お前があんなものを、何の意味もなくとっておくわけはないと思って、気になっていた」
「そうだな」
「その後、おまえが修行先のドイツでいろいろあったということを聞いた」
「いろいろ、か…」
虚ろな目のままで、ジャケットの胸ポケットからライターを取り出し、煙草に火をつける。防音のよいリムジンのなかでは、シュボッという音だけしか聞こえなかった。
「いろいろ、って都合のいい言葉だよな」
「…」
「どんなことがあっても、『いろいろ』って言えば全部、十把一絡げにできるんだもんな」
ため息なのか煙草の煙なのか――益田は深く吸い込んだ息を、時間をかけて細く長く吐き出した。黒っぽいシートの車内に、紫煙が揺れる。
「でもちょびっとだけ、言い訳してもいいか」
「なんだ」
「あの写真は…とっといたわけじゃないんだ。ポケットに入れたままになってたんだよ。ずーっとな」
「ああ」
「気づいたら、入ってたんだ。そんで…捨てられなかった」
俺は黙って聞いていた。時折、ジンを口にしながら。
いくら強くても、酔えない気がした。
「あれだけ一緒にいたのにさ、いっしょにとった写真、あれ1枚こっきりしかねーんだぜ。信じられんねえだろ?」
益田はまた、ゆっくりと煙草をくゆらせる。
「俺さ、思うんだけど、すんごい楽しかったら、写真撮ろうと思う暇なんてないっての。一瞬一瞬が惜しくてさ。誰かに頼んで、『スイマセーン、写真撮ってもらえません?』なんて言ってる暇も惜しいんだよ」
「そうだな…」
「そんなこと言ってる暇も惜しんで、ずっといっしょにいたくなるんだ。ずっと話して、ずっと隣にいるんだ…分かるかそういうの?」
「…そう、だな」
「さっきから、そうだな、そうだなって…お前ほんとに、分かってんのかよ!」
いきなり益田が上半身を乗り出して、俺をキッとにらんだ。けれど、すぐにまたシートに座りなおした。猫ッ毛をくしゃくしゃとかきむしりながら、
「…わり。れーいちに当たってどうするんだよな…」
と言った。
「益田」
「あん?」
「俺は…お前ほど恋愛経験もないし、本気で恋愛をしたこともない。正直言えば、恋愛という概念自体を信じてもいない。単なる脳内物質のいたずらが見せる妄想だと考えている」
「れーいちはそういう男だよ」
「だが、そんな俺でもこれだけは分かる。…昔の楽しかった思い出を大切にするのは、悪いことではない」
「…」
「ただ、それを、現在の何かに重ねてみても、何も生まれない。何も残らない。何も帰っては来ない。…彼女も、喜びはしないだろう」
益田の目を見ることができなかった。
「んなこと、分かってるよ。恋愛オンチのお前に言われなくてもさ」
言われたほうは、ずいぶんしてからぼそりと呟いた。
「そうか。言わずもがなのことをわざわざ繰り返して、悪かった。釈迦に説法だったな」
「ほんとだよ。俺を誰だと思ってんだ。マスダヨシヒトだぜ」
「分かっている」
「俺が、たった一度の失敗でへこむわけないだろが」
「待て。失敗、ではない」
「ふん。れーいちのくせに、分かったような口ききやがって」
「れーいちのくせに、とは何だ。お前がマスダヨシヒトなら、俺は氷室零一だ」
「でも…ありがとな」
益田は急に、微笑んだ。
お前がわらうと、急に周囲が暖かくなるのは気のせいだろうか。
「そうやって、真剣に怒ってくれる友達がいるって、いいもんだな。…この年になるとさ、耳に優しいことしかみんな言ってくれなくてさ」
「お、お前は友達ではない」
俺はちょっと慌てて言った。
「え?」
「コホン、友達だなんて誤解するな。お前はただの、腐れ縁だ!」
「ひでーなあ、真面目に感謝したのにさ…」
「友達だと思っていたのなら、甚だ遺憾だ。大きな誤解だ」
「どうしてそんな、駄目押しみたいなこと言うんだよ…」
わざと目を潤ませる益田は、もういつもの益田だった。
「おい、お前サキソフォンをこっちに持ってきていたのか?」
話題を変えようとして、俺はシートの隅に放り投げてあったものを取り上げた。ちょっとくたびれたサキソフォンだ。日本にいた頃から大切にしていたやつだ。
確か、父さんとジャムっていた時もこれを吹いていたはず。
「ああ、それ。俺がホームシックになんてなるはずないけど、日本のことを思い出したら吹こうと思ってさ」
「…ちょうどいい。今日はクリスマスだ。何か吹いてくれ」
「リクエストか? 演奏料高いよ〜」
またにまにまと笑う。
「男のくせにケチだな。よし、お前が修行を終えて一人前の店を持つようになったら、その時は店でピアノを弾いてやる。それでどうだ」
「よっしゃ。今言ったこと、忘れんなよ?」
益田が鳴らし始めたのは、「サンタが街にやってくる」だった。
そういえば、ビル・エヴァンスも弾いたことがある曲だ。
俺はやおら、窓を開けた。
一瞬益田が驚いたような目をした。
俺は窓の外に向けて叫んだ。
「Merry Christmas!! Happy Christmas to you all!!」
「わわ…れーいち、いきなりお前、どうしたんだよ…」
「演奏をやめるな。せっかく、街の人にお前のサキソフォンを聞かせてやっているのに…」
益田は、仕方ないなという顔をしながら、演奏を再開した。
歩道を行き交う人々は、白いリムジンから聞こえる思いがけないクリスマスソングに最初は驚いたが、すぐに歓声で迎えてくれた。踊りだす陽気な人々もいた。
「お前からのクリスマスプレゼントだな」
「…こういうクリスマスも、悪くねーな」
「ピアノがあれば、俺も参加できたのだが」
「零一、ありがとな」
拍手や歓声が鳴り止まなかったので、益田はその後30分くらいもサキソフォンを吹き続けるはめになったのだった。
(03.12.03 了)
□あとがき
お分かりになる方もいらっしゃると思いますが、裏SS「Re: Birth」の後日談(義人がドイツに行った後)になります。margeryさんに差し上げたものなのですが、私の中で義人の失恋というとあの話になるので、下敷きにしました。ただ、あれを読んでなくても分かるような話にはしたつもり…です。なってればいいですな(笑)
あのドイツでの失恋(というか、引き裂かれた)の後、「酸性雨」のゆかりさんが来まして、今の彼女に落ち着くという、なんとなくの設定があります。あんまり大失恋ばかりしてもかわいそうなので、失恋の話はこの2人くらいにとどめてあげたいです。
でも、彼に失恋をぶつけるのは、いつも言いますが彼のしなやかさを信頼しているからです。零一にはちょっとぶつけられません…。
margeryさん、お受け取り下さるとうれしいです。
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