□CANTALOUPE --何度でも言ってあげるから。ただし、誰もいない場所でだ。
「いや〜悪いな零一。しかし相変わらず時間厳守だなァ。まだ開店2時間前だってのに…案外こういうの好きだろ」
「何を言い出すのだ。おまえが『インフルエンザで店員が休んでいて忙しいから手伝いに来てくれ』というからわざわざ…」
「ハイハイ。冗談だよ。じゃ今日は、給料として支払う分はしっかり働いてもらうかんな」
「…もう給料は良いから帰してくれ」
3学期が始まったばかりだというのに、俺はまた義人に振り回されていた(といい、どうして俺はこう人に振り回される役回りなのだろうか。今年は厄年ではなかったはず。もっと自分というものをしっかり持たなければならない。と去年も確か誓ったような気がするのだがまあ、いい)。
俺がいつものように、放課後の補習を監督し終えて帰ろうとしたところで、やおら携帯の着信音が鳴った。それが奴からの呼び出しだったのだ。
あの電話さえ無視していればこんなことにはならなかったのだが、今更後悔しても仕方あるまい。
土曜の夜だというのに、勝手極まりないこいつのために費やすことになるとは。こんなことをしている時間があるなら、来週の小テストのひとつやふたつ作成できたというものだ。
第一、店に着くなり奴はニヤニヤして言った。
「おまえも、来てくれた以上今日はここの店員なんだから、制服を着てもらうよ」
「なんだこれは」
…なぜ臨時手伝いである俺がこんな格好などせねばならんのだ。理解に苦しむ。服装など、その機会に応じた機能的なデザインのものを着用すればよいのだ。
「零一もたまにはカッチリスーツだけじゃなくて、こういう格好をしてみればいいんだよ。世界が広がるぜえ」
「おまえに俺の服装についてとやかく言われる筋合いはない」
俺はきっぱりと言って、まずは店内の掃除に取り掛かった。
「へいへい」
「返事は1回で良い」
「はいよ」
「…本気で帰るぞ」
奴はなおもニヤニヤしている。まったくお気楽な奴である。こんなふうに生きられたら苦労はしない。しかしこんな奴と小学校以来付き合いを続けているという俺ももの好きというべきなのだろうか。
これ以上ないほどすみずみまで掃き清め、磨き上げ、雑多なものを区分けし機能的に配置・収納し尽くしたところで2時間が過ぎていた。
…つい、熱中してしまった。俺としたことが。
しかし、なんだこの店は。雑多なものが無秩序に収納されていて、これまで経営されてきたことのほうが世界の七不思議である。どこにグラスやシェイカーなどがあるか誰が管理していたのだろうか。
以前から思っていたことだが、飲食物を出す店というのは何よりまず衛生環境が重要である。どんなにうまいコーヒーを出す喫茶店でも、カップに店員の指紋などがついていてはもうそれでコーヒーを楽しむ気分など失せるというものだ。その点で、アルカードはエクセレントだ。
…コホン、話がそれた。
「いやあ、やっぱおまえはすごいな。店内が見違えたよ」
奥で酒のストックを調べていた義人がやってきて感心したように言った。
「零一っていい嫁さんになるよな」
「なぜ俺が嫁なのだ」
「冗談だよ。そろそろ客が入ってくるから、頼むぜ」
「受けた仕事はきっちりとこなすのがポリシーだ」
俺はそう言って、入り口の表札を裏返し、CloseからOpenに切り替えた。
正月だというのに、バーは7時あたりから混み始めた。家で手持ち無沙汰な連中や、家では落ち着いて飲めない連中がやってくるのだろう。ほとんどは義人の知り合いらしく、気の置けない雰囲気が漂っている。
想像のつくところではあったが、俺はこきつかわれた。
「バーテンさーん、こっちにフォアローゼズの黒、ロックで頼む」
「まだ俺のジントニック来てないぞ」
君のフォアローゼズはもう5杯目だろう、いい加減飲みすぎだ。もう少し軽い酒に切り替えたらどうだ。
来た早々ジンなどで飛ばすものではない。酒には飲む順序というものがある。
…などと言いたい所を俺はぐっと我慢した。
接客業とは見かけ以上に精神的肉体的負担を強いる職業である。教職に勝るとも劣らない。
俺のほうこそ酒でも飲まないではいられない気持ちだったが、今更帰るわけにもいかない。職場放棄など、もっとも恥ずべき行為である。
さっきからピアノの近くの席で騒いでいる婦女子の一団があった。俺が注文のボトルを持っていくと、1人が声をかけてきた。
「バーテンさん、見ない顔ねえ。新米なの?」
「いや、俺は臨時で手伝いをしているだけだ」
向こうで義人が、両手の人差し指を唇の両端にあてがって左右に引っ張って俺にしきりと合図している。どうやら「スマイル、スマイル」と言っているようである。
が、俺にもできることとできないことがある。
「ふーん、そうなんだ。なんだか、よく見るとイケてるよねえ、ミキぃ」
ミキと呼ばれた女は、
「なんかちょっとすかした感じもするけどぉ、悪くないって感じ」
目がすわっている。
君はフランスワインの飲みすぎだ。それも、よくもそんなにブルゴーニュばかり。ある意味尊敬に値するが。
よく見ると、二人とも化粧などをしているが年端もいかない婦女子のようだ。
そんなに真っ赤な口紅など引くものではない。若い頃は持てる自然の美しさというものを大切に…俺は何を考えているのだ。
「でもちょっと固すぎだよねえ。もっとさあ、接客業なんだから愛想だけでもよくしないとお客さん逃げちゃうよ?」
「問題ない。バーテンダーを一生の生業とするわけではない」
「つまんなぁい」
ミキが甘えたように言う。
「それにさあ、なんか窮屈そうなんだよねそのカッコ。もうちょっと胸元をはだけるとかあ」
「そうそ。眼鏡もとっちゃえば? 結構素顔いけてるんだから、ねえ。あたしが取ってあげるよ」
ミキが俺の顔に手をのばした。
「何をする。や、やめなさ…」
俺がミキの手を払いのけて飛びすざろうとした瞬間、入り口のほうでガチャンという音がした。
「…!?!?」
「あ、あの…私、先生がここでマスターさんのお手伝いをしていると聞いて、頑張ってほしいって思ったから、差し入れを持って…」
は持ってきたらしきワインのボトルを床に取り落としてしまったらしい。足元にガラスの破片が派手に散らばっている。
「で、でも、先生はお手伝いなんかじゃなくて、オンナの人と、イチャイチャ…」
い、イチャイチャ!?!?
「な、何を言い出すのだ、私がそんなことをするはずがないだろう。単にもみ合っていただけ…」
「仲良さそうにじゃれあって…やっぱり先生はそういう、大人の女の人の方がいいんだ。口紅ガーっ、胸もボン、って感じの…」
「何をわけのわからないことを言っている。落ち着きなさい、私の話を最初から」
最も落ち着きを失っていたのは俺だった。
「そーよ。あたしたち零一さんとすんごく仲良くなっちゃってえ。ねえ、マキ?」
「眼鏡とって素顔見せてって言ってたんだよねえ、ミキ」
「君たち、言うに事欠いて何を言い出すのだ」
俺は狼狽した。もう声がひっくり返っている。
…待てよ。何故ミキは俺の名前を知っているのだ?
「ひどい。私は一生懸命先生につりあう女になろうと毎日努力してるのに、先生はこんなところで浮気してたなんて、ひどい裏切りよ! うわああああん」
ついにはわっと泣き出し、顔を覆って床にしゃがみこんでしまった。
俺は先ほどの疑問をとりあえず横に置いておいて、慌てての所に駆け寄った。
「泣くことはないだろう。わ、私の話を聞きなさい。それにそんなところにうずくまっていては、ガラスの破片で怪我をするではないか…」
「じゃあ、ここで誓って。愛してる、って言って」
「(…こんな人前で、言えるわけがないだろう!)」
俺は滝のような汗をかきながら小声で言った。
「じゃあ、私はその程度の相手ってことなんだ。人前には出せないってことなんでしょ! …くっくっく・・・」
「?」
は我慢し切れないというふうに吹き出した。
「…あーっはっは。先生、うそですよお。そんなに慌てなくてもいいじゃないですか」
「ナニ?」
ミキとマキのテーブルからも爆笑が起きる。
「いや、ほんと零一さんてちゃんのことが好きなんですねえ。私当てられちゃいました」
「…どういうことだ?」
「ミキとマキは、はば学の卒業生で俺の知り合いだよ。今日は零一のちゃんへの愛を確かめるために、一芝居うってもらってたのさ」
いつのまにか義人が近くでにやにやしていた。
周囲の客も皆笑っていた。
…やられた。
正月から、完璧にしてやられた。
「義人、お前が計画したんだな」
「いやあ、いいもの見せてもらったよ。熱いねえお二人さん」
「もう、俺は帰らせてもらう!」
俺は真っ赤になったまま、靴音も高く踵を返そうとした。が、が俺のベストの裾をしっかり握って離さない。
「せっかく来たんですから、先生の作ったレモネードでも飲みたいなあ私。それに…先生のバーテン姿、もっと見ていたいし…(ハァト)」
「…勝手にしたまえ!」
レモネードの用意をする俺に、義人が思い出したように言った。
「ああ零一、ちゃんが床に落としたボトルの破片はちゃんと片しておいてくれよ。危ないからな♪」
…義人、いつかぎゅうの目に遭わせてやる。必ずだ。
氷室零一に、「敗北」の文字は、ない…はず。
■あとがき
ILLUSTのページにupしたいただきもの、浅倉かりんさんの「HELP」のイラストをテーマに書きました(見てね)。
全然イメージ違うかもですけど…
かりんさん、イメージ壊してごめんなさい!
サブタイトルは、騒動の後で先生がこっそり言ったに違いないセリフです。
ちなみに出てくる酒は私のお気に入りばかり…(^ ^;
